【映画】釣りキチ三平
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『釣りキチ三平』(つりキチさんぺい)は、矢口高雄による日本の漫画作品。また、それを原作としたアニメ作品。1973年から10年間、『週刊少年マガジン』(講談社)に連載され、当時の看板作品のひとつであると共に、自然派漫画の代表的存在であった。『週刊少年マガジン』では長編を、『月刊少年マガジン』(講談社)では短編を同時連載していた。続編や単発の読み切り作品もたびたび発表されている。
現在矢口高雄1人による描き下ろし『パーソナルマガジン』の看板作品として『平成版・釣りキチ三平』を連載再開している。
2009年3月20日に、東映配給、滝田洋二郎監督による実写映画版が日本で公開。詳細は本項の“ #劇場版 ”を参照。
概要:
魚釣りが大好きな「釣りキチ」(「釣りキチガイ」の略、つまり熱狂的に釣りが好きな人のこと)少年三平が、日本中、世界中のさまざまな魚釣りに挑戦する釣り漫画である。日本を代表する釣り漫画であり、連載を終えてもなおファンが多く、矢口高雄の代表作となっている。韓国、台湾、イタリアでも出版され、特にイタリア語ではオリジナルソングも創られ好評を博した。現地のタイトル名は「SAMPEI」。
作者自身が幼少の頃からの釣り好きであり、作中に出てくる魚は「幻の怪魚」の類を除けば、ほとんど全て(釣っていない魚はムツゴロウとアカメ)を実際に作者自身が釣っているため、その写実的な釣りの描写に特徴がある。また、初挑戦の三平がその釣りを体験していくのに合わせ技術的な説明が随所に加えられるため、釣りの疑似体験、あるいは入門書としても通用する。
一時期、きちがいが差別用語とされ、言葉狩りの対象となった[2]。
なお、主人公の名前「三平」は作者が手塚治虫と並び尊敬している漫画家「白土三平」から、「魚紳」の名前は銀行員時代に作者が知り合った釣り雑誌のライターでもある釣り師「加藤魚紳」から取っている。
昭和時代の『三平』を終わらせた理由として「他のテーマの漫画を描いておきたい」ということで「封印」したとのこと。終了後もファンからのアンコールが多く、2000年の「漫画家生活30周年パーティー」の時に祝福として受けた。
「もう一度“三平くん”に会いたいネ…!!」
との多くの言葉に、描くまいと意地を張っていた心を揺り動かされた作者は『平成版・釣りキチ三平/地底湖のキノシリマス』を描いてみたのだった。
劇場版:
2008年、東映による実写映画の製作が発表され、同年7月より秋田県横手市・湯沢市・雄勝郡東成瀬村・由利本荘市においてロケ撮影が開始。9月下旬にクランクアップし、日本では2009年3月20日公開。今回が初の実写作品である[3]。
ちなみに、公開直前に滝田監督作品『おくりびと』がアカデミー賞 外国語映画賞を受賞した事により図らずも“アカデミー受賞後の初監督作品 ”となった。東映はアカデミー効果を受け、第62回カンヌ映画祭にて『釣りキチ』を上映し、多数の国へ配給する事を計画している[4]。。
あらすじ:
米国で活躍するバス釣りのプロ・鮎川魚紳は、スランプに陥り日本に一時帰国していた。全国を巡る釣り行脚の道中、秋田県のある川で行われた鮎釣り大会で、圧倒的な成績を収めた三平・一平達を見て声をかける。
3人はすぐに意気投合し、鮎川は三平家に宿を取った。その際に「夜鳴き谷の怪物」と呼ばれる怪魚の話が持ち上がる。鮎川が一時帰国したのは、その「怪物」の伝説を確かめる為でもあった。
東京から急に帰省してきた三平の姉・愛子も交えて、一行は伝説を確かめる為に「夜鳴き谷」へと向かう。
スタッフ
監督 - 滝田洋二郎
音楽 - 海田庄吾
VFX - 白組
製作委員会 - 東映、白組、テレビ東京、バップ、木下工務店、東映ビデオ、ジェイアール東日本企画、Yahoo! Japan、河北新報社、東日本放送、秋田魁新報社
制作・配給 - 東映
上映時間 - 118分
キャスト
三平三平:須賀健太
鮎川魚紳:
塚本高史 三平愛子:
香椎由宇 高山ゆり:土屋太鳳
松山:小宮孝泰
竹田:志村東吾
梅沢:安居剣一郎
平賀雅臣
中西良太
片桐竜次
駐在:螢雪次朗
三平平:萩原聖人
三平一平:渡瀬恒彦
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